青函可動橋改造

昭和30年代以降の工事写真

青函連絡可動橋改造 臨時最終便

     青函連絡可動橋 昭和のIron・Steel

  

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絵葉書左半分

  

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絵葉書右半分

  

裏面">f:id:metonoat:20200821200857j:plain
30年代 4連絵葉書裏面

  

  

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推定 函館
  

  

1.青函連絡可動橋改造の工事範囲

青森と函館の両可動橋の改造

  

2.青森側 事務所住所

青森駅構内 第一岸壁可動橋工事現場 松尾橋梁工事事務

  

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3.青森宿舎

  

6月12日~7月上旬頃迄

青森市沖舘千刈388 及川 吉太郎方

  

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8月上旬頃まで青函を行ったり来たりか

  

4.青森現場環境原文ママ

  

此方も毎日はっきりしない天気

うみっぺりにいって ものすごい風が寒く

容赦なく吹いている

暑い処の騒ぎではなく 時々炬燵へ入ることも有る

寒くて風邪をひいて弱った

相変わらず長袖を着てセーターをその上に

更にワイシャツ二枚を着て仕事をしてる

何時になったら夏らしい日が来るのか解らない

嘘でもなく全く3月の頃の陽気だ

とにかく油だらけになって弱った

手袋を送ってほしい

いつもいつも海を眺め津軽海峡から送って来る潮風が

海の香りを乗せてくる

7月に引き上げる 8月上旬かもしれない 以上

  

① フイルム・ホルダー

  

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青森側写真店で現像。 画像は全て青森第一岸壁と判断

  

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推定函館 もしかするとマラヤ製糖

  

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5.函館側 事務所住所

  

函館駅構内第二岸壁青函連絡可動橋工事現場

松尾橋梁工事事務所と推定

  

6.函館宿舎

  

音羽 函館市音羽町三八 7月11日宿泊

 

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その後 つがる屋旅館 函館市大町31番地

つがる屋旅館7月27日退去

 

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新宿舎 北越屋旅館 品田一郎 函館市末廣町8番地

宿舎移転理由不明

9月9日宿泊し 10月上旬まで滞在か

  

① 資料確認(原文ママ

  

27日に又宿舎が移ります

いろいろな関係で又宿が移り全く私も厭になる

今度移居したらずっととなり もう大丈夫です 以上

  

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推定函館か釧路

  

7.まとめ  

  

函館宿舎再転居に伴う郵送先変更発生

余程の事情が有ったんでしよう

6月12日~7月30日迄の資料で以下を確認

現場滞在期間は 準備工も含めて

最大 昭和28年6月~10月上旬頃か

撮影は「自動シャッター使用」を確認

  

① 函館港の船舶情報 写真所在不明 (原文ママ

  

船は客船貨物船で全部13隻くらいあります

大拙 (雪?)丸といふ 函館切っての好い客船です

第12青函丸は貨物船です

その外 石狩丸、摩周丸と色々沢山あります 以上

  

1954年(昭和29年)9月26日については・

洞爺丸海難事故については 何も資料ありません

しかし もしかすると これかもしれません(既出)

  

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② 追加資料

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上記プリント裏面

  

  

その他 当時道内諸事情(原文ママ

昭和28年5月末札幌では 街で右肩を馬に噛まれて 内出血した

鉄道事情

上野発  6日9時35分    7日0時30分青森駅

青函連絡船7日0時50分乗船   7日5時10分函館着

7日11時45分札幌着した

突き出ている煙突 八重桜が満開    東京の3月と思えば間違いない

東京でランニング1枚で過ごせるがここではスプリングコートを着ている

物価が高いのでうっかり何も買えない

仕事の都合が悪く 8月15日まで駄目

札幌から電鉄で45分くらいの定山渓温泉に一泊した

仕事は7月20日ごろ

僅かばかりの金で左右され おのが特権を発揮し

意のままにならぬ奴は気に食わん肚でバカ扱いされ (・・だそうです )

北海道札幌市白石七条の四丁目 清水建設KK作業所内 松尾橋梁

  

ご挨拶に替えて (青函終稿)

  

画像は 現場作業記録と作業班の記念写真でした

しかも 現像場所で判断すると 青森側の様です

先達に聞けば 風景で ご判断できるでしょう

  

現場使用図⇨成果品反映の情報が有ったでしょうか

成果品の検証で 判断できるでしよう

使用図は 青森⇨函館と使い廻した様です

図裏手書き工事名と図タイトルが齟齬しております

青森も凾館も基本的に 大差なしでしょうか

  

青図は経年劣化を差し引いてもそもそも不鮮明です

原図を二原に焼き 更に焼いたなら多少鮮明ですが

加筆してますので 元図を直接焼いたんでしょう

図面が命の現場で これは どう言う事でしようか

それが 昭和28年の現実なんでしょうか

  

さて 作業部隊の拠点は 青森と函館でした

函館第二岸壁可動橋改築其1・其2は、

昭和28年6月から およそ130㌧のようです。

青森第一可動橋改築架設鉄骨工事は

昭和29年5月から およそ130㌧のようです。

労務環境は 相当厳しかったようです

青焼図に 滴った血痕もそれを物語っております

  

本blogは 戦後復興に尽くされた先達が主題です

決して無機的な 構造物カタログではありません

歪曲 捏造 暴営利目的以外 自由に使用できます

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